虹色宝石箱

私にしか出来ないお野菜起業に向けて。日々感じた事、学んだ事をつらつら綴ります。

土のおしごと

ちょっとした体調不良で間が開きました。

今までのお話を続けます。

 

 とりあえず仕事をしないと何にもならん。

そう思って得た仕事は、土質試験のお仕事でした。建物や道路、ため池を造る時その土地の質を調べ、またどういう風に(セメント等で)改良すれば強度が保てるか調べるお仕事です。

土に触るのは抵抗が無い。後、医大で見ていた実験の仕事に関われる。(分野は違いますが)

トントン拍子で決まった仕事でした。

大型カッターを使ってコンクリートの塊を切ったり、一日中ヘドロのふるいがけをしたり、物凄く重たい機械を使ったり、今までに経験が無い仕事でしたが物凄くやり甲斐のある仕事でした。

仕事を続けていくうち、この仕事で食べて行きたいとも思うようになりました。しかし私はどう足掻いても文系。そしてアルバイト。

新卒で入社して来る理工学系の若い人に簡単に仕事を取られ、自分の仕事が無くなり、ある日長期のお休みを取って下さいと言われます。

 

生活できん。

 

小さい会社だったし、ちょうど年度始めで本当に仕事も無かったのですが理系でない事のコンプレックスや実験結果の数式などが理解できず限界を感じていたのもありそれを機に退職しました。

 

土に触れ、石と話し、体力もついた2年間でした。頭がついて行かなかったのだけが悔やまれます(笑)

 私の今の根性はここで養われたと言っても過言ではないです。

ドライバー一つ満足に使えなかった私が大型カッターやスパナを使いこなし、土質試験の大きな機械を操作して土をセメントで固めた実験体を圧をかけて破壊する。

出来ない事もあったけど、頭から諦めていたことも努力次第でできるようになる事もある、と気付いた仕事でした。

 

 

 

 

マイナス思考も捨てたものではない

誰でも多かれ少なかれ精神的な不安定さは持ち合わせているとは思いますが、私はだいぶ顕著です。精神的にタフな人を見ると本当に羨ましくなります。

 

これは打たれ続けて強くなるのではないと体験を持って感じてます。実際打たれ続けてこじらせました。精神的に弱くなった理由はおそらく「思考のくせ」と「哀しい体験の蓄積」ではないかと感じています。

 

思考のくせは、正直治らないです。私の場合。訓練次第でどうにかなるならとっくに治っています。嫌な方に考え込むのが癖な上、哀しい事やブルーな気分、メランコリーが耽美で美しいものだと信じて疑わないので救いようもありません。

そんなくせの上に、思春期のいじめだったり社会に出てからの人間関係だったり結婚後の嫁姑問題など自分から見て死ぬほど哀しい体験が重なって来ます。

タフな人から見たら取るに足らない事なのかもしれないです。実際タフな母親からは一笑に付されましたから。

 

しかしこれがマイナスかと問われたら、そうではないと思います。

打たれ弱いぶん人の痛みにもとても敏感です。

他人の哀しみを自分の哀しみにしてしまうので、気持ちが持たない時もあります。(最近は蓋をする事を覚えましたが。)

世界のレシピに興味を持ったのは、今哀しい出来事が起きている地域の事を知りたいと感じたのがきっかけの一つです。そんな事に心を痛める感性を持ってなければ全く興味も持たなかったでしょう。

 

マイナス思考も、打たれ弱さも、悪いことばかりではないのです。

SNSやネットには思考のくせを治そうだとか、マイナスな言葉が不運を引き寄せるとか色々勝手な事が書かれてますが無理やりプラス思考のアタマになる必要はないかと感じています。

1度目のチャレンジと失敗

職業訓練が終わり、とりあえずのバイトをしつつ前職で経験したトマトの美しさがどうしても忘れられずトマトを作りたいなと思い始めます。そこで自宅の畑で手に入れておいたエアルーム品種や様々なトマトをまずは15品種ほど試験的に栽培してみました。

それと並行して様々なセミナーを受けたりコワーキングスペースに行ったりしてどうにか野菜の事を商売に出来ないかと模索しました。

知り合いの飲食店にトマトを使わないかと営業をかけることもしてみました。

 

しかしそう簡単には行きません。

当時簡単なバイトしかしていなかった私にはセミナーや講義を受けたり営業にかけるお金が続きませんでした。

トマトは思いのほか風味が悪かったり、親戚に勝手に採られたり、挙げ句に大雨にやられて始めに作った品種は大多数の実が裂けてしまいます。

時間差で栽培した残り数品種は数は少なかったのですかどうにかしてお約束した数店の飲食店にお出しする事が出来ました。しかし約束を果たせなかったお店もあり、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

 

私には無理なのかなぁ。

そう思いながら、1度目のチャレンジと失敗が終わりました。

トマトの時期も終わり、一旦職探しを始めます。

知識を貯めるということ

台風でバタバタでした。

水が入って来る場所に土嚢を積み、雨戸を閉めるなど万全を期して家にこもっていました。

外に出られない時は特にですが、家に籠って本を読みながら知識を貯め込むのが大好きです。

 

最近は各国の食文化、行事食、調理器具などが書かれた本を読み想像力をフルに活用し、その場所での食事を思い浮かべノートに書き留めるという作業をしています。

 

実際に行ってみて味わうと想像とはギャップがあるのかもしれませんが…

自分が培ってきた知識を元に食材の組み合わせやスパイスやハーブの組み合わせからのおおよその味、食べる場面やその時の会話までふわっとしたイメージではありますが想像して記録すると私の中でその料理が「活きて」来ます。

食材が手に入る時は実際に調理してみます。

するとさらにその国や地域の空気感まで感じられるような気がしてきます。

 

 

 

なぜ、野菜なのか?

職業訓練が終盤を迎えた時に進路面談みたいな事をしました。

面談とは名ばかりで、訓練を受けている人と講師がその場で今までの仕事の話、好きな事なんかをざっくばらんに話していたのですが…トマトや野菜の話、料理の話をしている時に「いっそ野菜屋さんすればいい」と冗談めかして話をされピンと来たのです。

 

その後、自分で自分の中の「野菜」というものがどんな存在なのか書き出してみました。

なぜ、ピンと来たのか?

前職でトマトにあれだけ魅かれたのはなぜか。

土に触れて安らげた理由は?

 

私が子供の頃母親は働いていてあまり家に居なく、祖母が母親がわりでした。親戚トラブルが色々とあった中私を一生懸命育ててくれました。

祖母の家は広い畑で野菜や果実を出荷する農家で、私は畑で生き生きと作業をする祖母の傍らで幼少時代を過ごして居たのです。

学校でちょっと困った子供だった私はよくビニールハウスに隠れたりしていました。そこの温かな空気と土や草花の匂いは忘れる事が出来ません。

土や草の匂いで落ち着くのはその原体験でしょう。

 

もちろん食卓にはとれたての野菜や果物がよく並び、好き嫌いが無かった私はそれらを喜んで食べていました。

大人になって色々あって都会に住もうとしていた時、レストランやスーパーで食べる野菜の不味さにいつも不満を感じていました。

当時の恋人(都会出身)に、これは冷凍。これは切ってから時間が経ちすぎ。これは輸入もの。と話しても「俺には全然分からない」と言われ信じられなかった思い出があります。

 

 都会に住めなかった理由は色々ありますが、野菜が美味しくないこと、土に触れる機会がないというのは確実に私の中でマイナスポイントだったと思います。

 

もしかしたら、私の中で野菜というのは重要な要素なのかもしれない。

 

そう感じたこと、ひらめいたことはすごく鮮烈な思い出として残っています。

 

一念発起?で職業訓練へ

夫の再就職も決まり、次は自分の身の振り方を考えようと職安に行った時のことです。

職員さんに今までの経緯を説明したところ、一枚のチラシを勧められ…それはとある保険会社が開催するファイナンシャルプランナーと簿記の職業訓練のお知らせでした。

これはお金の使い方を勉強できるチャンスかもしれないと受講する事を決め、ちょっとしたゴタゴタの後失業保険を受け取りながら訓練を受けられる事に。

 

3ヶ月の間、みっちりとお金について学びました。

ライフプランニングや保険、税金、相続、貯金や証券の事など、お金の流れを学ぶファイナンシャルプランナー

売上や経費、純利益、貸借対照表など会社の経理には欠かせない簿記。

 

今まで大雑把でどんぶり勘定だった自分がいかに無駄なお金を捨ててきたか思い知らされました。

とにかく計算やお金の予測が苦手だっだのですが、一生懸命やれば答えがきちんと出るのが楽しくなり無駄な浪費もしなくなりました。

 

この時に学んだ事は色んな場面で役立つ事になりますが、ひとまず訓練を終えて新たな局面を迎えます。

伝統と地域のコミュニティ

今住んでいる地域ではそろそろ秋祭りの準備が始まりました。こちらでは獅子舞が盛んで、私が嫁いで始めの頃は「若い人が獅子舞してる」とびっくりしたものです。

 

昔は私の中で伝統芸能=年寄りのもの、田舎のもの≒ダサいというイメージがありました。地域のコミュニティも「田舎者の噂話の寄合」という勝手なイメージで好きではありませんでした。

なぜそんな勝手なイメージがあるかというと…母親の影響が大きかった気がします。

母親は当時珍しい「結婚しても働く女性」でした。長く働いていた事もあり職場でもそれなりの立場で、市街地でバリバリと仕事をこなす母はのんびりとした田舎で家庭に入っている一般的な主婦の方とは話が合わなかったのでしょう。地域の集まりでは全く中に入らず、生産性がない所謂井戸端会議は「時間の無駄」とバッサリ切り捨てる人です。

それが私が伝統芸能や地域のコミュニティにマイナスイメージを持つ土台ではありました。後は自分が都会的なものに憧れていた事もあります。

 

自分が実際お祭りなどの地域行事に関わるようになるとは思っていませんでしたが、現在では暮らし方や価値観も多様になってきたので母親の時代よりは入りやすかった気がします。後、若い人が多いということも運が良かったのでしょう。これは地域性ですね。

 

自分が参加する側になって身をもって感じた事があります。

それは継承者が居ないと伝統芸能はどんどん消えて行くと言う事。

地域のコミュニティが固まっていないとその集落は消滅し易いという事。

 

 伝える者、受け継ぐ者。

根を張って居るもの、外から来た者。

それぞれの生き方、それぞれの考え、それぞれの想い。

全てすり合わせるのは難しいけど、お互いが柔軟に対応して行かないときっと何もかもが消えて行ってしまう。

 

マイナスイメージを持っていた伝統芸能や地域のコミュニティに少しずつ良い印象を持ち始め大事にして行きたいと感じているので、今から起業する時もそういうものに少しでも貢献出来ればいいな…とぼんやり考えております。