虹色宝石箱

私にしか出来ないお野菜起業に向けて。日々感じた事、学んだ事をつらつら綴ります。

疎かにしてきたものの逆襲と再構築

当時私の体調は戻りつつありましたが、夫も同じ様に身体のバランスを崩していました。

仕事場に居ることが楽しかった私は夫をおざなりにしてしまう事が多かったと思います。

前職で異常な残業をしている夫が日付けが変わって帰って来ても労いの言葉一つかけず、同居の居心地の悪さに関して罵言を投げつけていました。

 

さておき、仕事場では新たなプロジェクトが動き始めました。

エアルーム野菜 を作ること。

エアルームとは、昔ヨーロッパから北米に移住した農民が故郷から種を持ち出し品種を改良せずに大切に先祖代々受け継いで来た品種のことです。

今では社長が農園を作りたくさんのエアルーム野菜をランチで出していますが、当時は借りていたハウスの中を耕して作っていたのが懐かしいです。

土に触り、種が芽吹き、ぐんぐん大きくなっていく野菜が愛おしくてたまらなかった。野菜を育てるのって、こんなに楽しいんだとドキドキしました。

特に私はトマトの色や形の多様性に魅かれ、ワクワクしながらトマトが大きくなるのを待ち…

 

そして色とりどりのトマトが実る頃、私と夫の関係は最悪なものになっていました。

多過ぎる残業に耐えかねて体調を崩し前職を退職した夫はやる気をなくしうつ状態に。

収入が無くなり、私のカフェ収入だけではとても生活出来ず大学で働いていた時の貯金を全て切り崩しました。

今となっては「なんとかなるものだな」と笑い話に出来ますが、当時は悩みに悩み 離婚 の文字が何度も頭をよぎりました。

 

そんな混乱の中で楽しかった仕事を退職します。

夫の事をおざなりにした私が未熟だった、それもありますが仕事的にも夢見心地に酔い過ぎてあまりいい仕事は出来ていなかったと未だに悔いが残ります。

 

しばらくして夫は数ヶ月の職業訓練を経て新しい仕事に就きます。その間私は夫のサポートのため家庭内で過ごしました。

生活はキツキツで保育料の事で信頼できる保育士さんに泣いて事情を話したりして、お金の使い方をきちんと勉強したいと身にしみて感じていました。

 

ただ、喧嘩もしましたがこの間で夫婦の絆が強くなった気がします。

 

夢見心地な時間は

目の前にある大事な「家族」と

現実のカタマリである「お金」

を疎かにした結果終わってしまいましたが、

エアルーム野菜やハーブの知識、土と触れ合って栽培し収穫する楽しさを私に残してくれました。

これが今の私の原点を作ることになります。

 

夢のような日々

カフェでは色んな仕事が私を待っていました。

店舗でWebショップを開設していたので、受注のチェック。

販売商品の梱包や発送。

ランチが忙しくなればフロアの手伝い。

店舗の庭でアーモンドを収穫した事もありました。

 

仕事が落ち着けば、店長さんとお話。

ハーブ、野菜の事、料理の事。

ターシャテューダーベアトリクスポター、スプーンおばさんといった夢のある絵本や生き方の事。

ヨーロッパの食文化や料理、お菓子の事。

それぞれの人生の事。。。

 

毎朝、「おはようございます」と仕事に入る時間が楽しみでならなかった。

 

色々なものが吹っ切れた日々でした。

病院通いも無くなり、時々体調を崩すくらいになり笑顔が増えて気持ちに余裕ができました。

 

ただ、夢ばかり見ていると現実が疎かになってしまうのも事実。

夢ばかりだった日々に、少しずつ影が出始めます。

 

 

 

流れをつかむきっかけ

さて、時間軸を過去に戻します。

精神的に追い詰められていた私。

心の拠り所の一つが、ひと月に一度位の間隔で通っていた「野菜とハーブのランチ」を出すカフェでした。

職場の昼休み時間がゆっくりと取れるシステムだったのもあり、少し離れた場所でゆっくりと食べる創作性溢れるランチは絡んだ糸が解けるように私の気持ちをほぐしてくれました。

昔からハーブが大好きで、本で見た事しかなかったハーブやドライの物しか手に入らなかったハーブが生で、いきいきと絵画みたいに彩られて提供されるランチは私にとってまさに魔法のような料理でした。

肉や魚ではなく野菜がメインで扱われているのも、疲れた心と身体に有難かったです。

調理と週替わりメニューを考案する店長が歳が近い女性だったのも親近感を持っていました。

 

大学の秘書は任期制で、ある一定期間働いたら一度退職して半年休職し違う研究室に赴任しなければなりませんでした。

仕事の内容や待遇にはそこそこ満足感がありましたが、またトラブルのあった研究室に関わる可能性もあり…大学という閉鎖的な空間に行き詰まりも感じていました。

ただ、今の私が就活出来るのか?と非常に悩んでいたその時です。

 

「ダメ元でお話しますが、うちで働きませんか」

 

料理やハーブの事などをメールで質問する位に親しくなっていたカフェの店長に、仕事が変わるからなかなか来られなくなるかもと話した時不意にそんなお話を頂きました。

 

収入は減るかもしれない。

でも、私の事を必要としてくれている人がここにいるということが嬉しかった。

大学の任期を終えたあと、飛び込むような気持ちでカフェの仲間になりました。

 

これが私のターニングポイントになります。

 

ブレインストーミングと言うらしい

今までの生い立ちはひとまず置いて、今回は今のお勉強した話を忘れないうちに。

昨日、起業に向けての相談に乗って頂いた方が私のとりとめない話や構想を聞きながら図に書き出すような感じでメモ書きをしていました。

凄い!何だか私のモヤモヤした夢が具体化した感じ!と感じて

「そのメモ下さい!コピーして!」

すかさず言う私。。。自分でメモしろよって感じですが…汗

 

寝る前に色々想像しながらそのメモを見ていると、夫が

「おぉ、ブレインストーミング?」

と一言。全然理解出来なかった私。

「脳のナニ?嵐??」(笑われた)

 

ざっくり言うと

イデアを複数の人でどんどん出してそれをまとめる作業(ルールあり)ですね。

会議なんかで良く使うみたいです。

説明は苦手なので詳しく知りたい方はお調べ下さい。

 

これは面白い。

いい人に相談できて良かったね。

自分でもやってみるといいよ。

 

と言ってくれる夫に安心感を抱きながら勉強も出来たし、相談も出来たし、素敵な1日だったなと思いながら眠りにつきました。

時々、自分でもやってみようと思います。

流れるまま流されていた頃

今から干支ひと回りくらい前の時。

私は香川県の中でも田舎の方の大家族に嫁ぎ婚家に同居を始め、1人娘を育てながらある大学の研究室秘書をしていました。

この頃はまだまだ農業やら野菜に興味が無く、色々あって住みたかった都会に住めず都落ちした気分でした。田舎の大家族に住んでいるのが嫌でたまらなかったです。

自分が住もうとしていた都会出身の研究室の先生達が羨ましくて、とにかくその先生に影響されまくってました。

 

そんな中、今の息子を妊娠し出産。

育休明けて仕事復帰しますが、復帰時に同僚とのトラブルがあり研究室で居づらくなってしまいました。

その上に同居と慣れてない2人の子育てのストレス…色々重なりパニック障害になってしまいます。

今から考えれば仕事を辞めるという選択肢があったかもなんですが、その時は就活する自信もありませんでした。

何も目標が無く絶望だけに堕ちて流されるままの毎日…

その上おたふく風邪からの髄膜炎にかかり、片耳の聴力が落ちて眩暈がする後遺症が残ってしまいます。

 

未だにこの時期の事を思い出すと息が詰まりますが、この経験があるからこそ今の自分自身があるような気がします。

 

 

 

 

 

 

ブログ開設しました。

はじめまして。な方も、よく知ってるよ。な方もこんにちは。

香川県でお野菜の起業を目指すチアキと申します。

この数年間で「自分にしか出来ないお野菜を使った会社を作りたい」と日々思いを馳せ、試行錯誤しつつ自分のビジョンを探しています。

 

何故お野菜なのか?

何故起業をしたいのか?

今までどんな事をして来たのか?

そんな事から少しづつですが綴って行きたいと思っています。

また、日々の自分の学びや身の上なども。

どうぞお付き合い頂ければ幸いです。